「目覚めの力」を宿した言葉たち2
人間というものへの理解とは、最も身近な人間である自分を理解することによって育まれまていきます。
自分の思考、感情、感覚、肉体・・・
それらが何によって動かされているのか?
どんなものや、どんなことからこと強い影響を受けているのか・・・
そのような理解は、書物による知的理解からではなく、少年期からの絶え間ない自己観察という体験に基づく理解によって養われていきます。
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スピリチュアルな探究における主体となる自己意識は、絶え間ない自己観察という取り組みによって目覚めさせることが可能です。
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あなたが何もしないでいることができれば、高次の瞑想状態としてのサマーディは、いつでも自ずと深まり続けていく。
どこまでも深くへと・・・
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しかし真なる自己としてのあなたが目覚めていなければ、あなたは「何もしないでいること」などできるはずがない。
ましてや自己意識としてのあなたさえも目覚めいなければ、あなたは「何もしないでいるということの真意」さえもわからない。
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自己意識の目覚めていないあなたは、思考や感情の動きによって完全に操られている。
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自己意識が目覚めていなければ、「自分は思考や感情に支配されているだけの無力で哀れな存在に過ぎない」という極めて深刻な現状にさえ気がつけない。
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母なる恩寵は無条件にあなたを抱きしめてくれるような愛ですが、父なる恩寵の愛は時にあなたを逃げ場のない所まで追い込んでくれます。
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肉体(としてのあなた)は「死にたい」なんて言わない。
つまり、肉体(としてのあなた)は死にたくないはずなんですよ。
「こんなに辛いのなら死にたい」という想念と自己同一化しているあなた、つまり知性と自己同一化しているあなた、いわゆるエゴとしてのあなたがそう言っているわけですよ。
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実際には、いわゆるエゴや知性としてのあなたとは、実在するものではなく夢のような幻想であります。
なぜなら現実として起きていることと言えば、想念と自己同一化しているあなた、知性活動やその機能と自己同一化しているあなたがいるだけで、知性としてのあなたやいわゆるエゴとしてのあなたというようなものが実在しているわけではないからです。
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でうから厳密には、エゴとしてのあなたが死ぬのではなく、エゴとしてのあなたという幻想を放棄するということです。
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その訪れが、あなたに「真なる自己の目覚め」をもたらしてくれる恩寵による祝福のサインです。
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長所と短所は、視点や価値観の違いによって、いくらでもひっくり返るものだから、良くも悪くもそれがいわゆる特徴ということであり・・・
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自己意識としてのあなたなしでも、肉体/精神としてのあなたはそれなりに機能することができるというわけであります。
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もちろん私にしかない力を頼りにして助けを必要としている人が目の前にいるなら、きちんと向き合って、できる限りのことをするわけだけど、助けを必要としている人をわざわざ自分から探しに行くような愚かなことはしないよね・・・
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悟った人というのは、他人から見れば何もしていないように見えている時こそが、世界に対して一番貢献している時であるからね。
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私たちが赤ん坊を見て癒(いや)されるのは、彼らが無自覚的な悟りの状態にあるからでしょ。
それを真なる自己の目覚めの直接伝達と言うことはできないけれど、肉体/精神の次元での間接伝達ではあるよね。
つまり赤ん坊は、それなりのスピリチュアル教師と同程度の伝達レベルは有しているということだよ。
勿論そのような安らぎの情緒を感じとる程度では、真なる自己の目覚めが生じるわけはないけれど・・・
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あなたが真なる自己として生まれ変わるということは、赤ん坊の誕生以上に神や世界にとっての大きな希望ともなるのである。
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